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「もう帰つたんかね」
「あんたは鮒をたべなさるかね」
さう云ひながら、盛子はゆつくりと喰べていた物がまだ口の中に残つているような無邪気な顔をした。
それがふしぎに思はれた。
「それとも、あれかね。やつぱり日露戦争のときみたいに、船で吉賀の先の浜へ上つてそれからやつて来るんかね」
「それから、あれだが、今までよう訊かなんだが、――あれは、どうしたもんかの、大石さんの方は?」
「玄関の手入れをどうしようかと云ふのですよ」
練吉は今更のやうに、あらためて房一の様子を、その新調の自転車や医者らしい鞄などに目をやつた。すると、それらは今新しく練吉の前に彼の持物と同じものを感じさせ、更に、今まで耳にしていたものの、つひぞ気にもとめずにいた医師高間房一といふ人物がそこに忽然と姿を現しているのをいやでも見なければならぬと感じさせた。それは何故かどこかで練吉の自負心を傷つけ気を苛立たせるものだつた。
「高間さん、ひとつ何とかして引上げさせて下さい。このまゝでは――」
それは六月も末のかつと輝いた午ひる近い一つ時だつた。いや、正午はもう廻つているかもしれない。畑地には道路のすぐ傍にあまり大きくない柿の木がぽつんと一本だけ立つていた。その葉はまだ新芽の柔かさを保つていた。日にきらきらしている。さうやつてひとりでに自分を磨いているみたいだつた。誰も表の道路を通らなかつた。
「なにしろこんな狭い田舎ぢやから、何事もねつうやる。それをやらんと後がうるさい。自然評判を落すといふことも起るかな」
練吉は顔をしかめ、手を振つた。
「やあ。――こちらへ」